今週も褒められた。褒められると気分が良いのでまた褒められたくて頑張るという好循環が産まれる気がする。
我ながら子供かよっていいたくなるくらいシンプルな心理だ。



というわけで今日は前回さらっと書いてしまった自分の中で当たり前だと思っていた2点を深掘りしてみる。
・やるからにはちゃんと自分が作ったサービスだって胸を張れるようになりたい
前回も書いたけど、ワイは基本超絶めんどくさがりなので、やらなくていいことはやりたくない。
仕事だって今はやらないと生きていけないからやってるけど、5000兆円もらえたら今すぐやめても構わん。
それくらいにはめんどくさがり。
ただ、現実はそうも言ってられないし、仕事はやらなくてはいけない。
それならせっかくだし良いものを作りたいってのは当たり前のことじゃない?
「よくわかんねーけど作れって言われたのでクソゲーってわかってたけど作ってリリースしました」とか、
フリーランスの時にあったけど死ぬほどつまらんかった。毎日めちゃくちゃイライラしてた。
当然リリースされたアプリの売上も全然伸びないし、レビューも荒れてて何のために作ったのか意味がわからんかった。
ネタにはなるから一応こんなゲーム作ったんすよとは言ってたけど、自虐ジョークでしか無かった。
逆に胸を張って作ったと言えるサービスあんのかよ?って言われたらちゃんとある。
某漫才グランプリの採点、表示システムを作ったのは今でもすごく印象に残っているし、自分の中で自信の柱になってる。
あれは胸を張れるようになりたいって言うよりは、大好きな番組を自分のしょうもない仕事っぷりで汚したくないって気持ちが強かった気もするけど、
結果的にはちゃんと胸を張って自分がやりましたって言えてるし楽しかった。辛いこともいっぱいあったけど楽しかった。
そんな両方の経験をしてるからこそ、どうせならちゃんと胸を張れるようになりたいという考えに至るのは自明なのである。


・願わくばそれで使ってくれた人が喜んでほしい
これも本質的には一緒な気がしてきた。
さっきの話で言うとクソゲー作った時って、絶望的にレビューが荒れてて、多分☆2届いてなかったと思うw
もちろん中身は「こんなクソゲーだと思いませんでした。お金返して下さい」とか、何ならもっとド直球なコメントで埋め尽くされてた。
作ってるワイもイライラ、使った人もイライラ、みんなイライラしてる地獄だった。
強いて言うならワイはお金もらってるからまだ救いがあるけど、ユーザは何なら課金してたりするから何倍もイライラしてたんだろうなって思う。
本当に申し訳ないって気持ちになるし、かと言って、ワイかて本意じゃないんやって気持ちになる。
誰も救われない。つらい。
その点やっぱり某グランプリのときは良かった。ぶっちゃけ得点なんて出て当たり前やし、誰も気にしてなかったと思う。
でも自分が操作して出してる得点とかランキングでお茶の間がドキドキハラハラしてるっていうのは気分がいいし、
結果的にトータルであの番組を見てみんなが楽しんでくれたのならそれで十分嬉しい。
自分も達成感があって、見てる人も楽しい。みんなハッピー。最高。
これもやっぱりどっちを取るか?って言われたらよっぽど性格悪いやつじゃない限りはみんながハッピーに鳴る方を選ぶのは自明なのである。


と言うような話をするようになって意外と(?)周りに同じようなことを考えてた人とかいっぱいいることを知った。
類は友を呼ぶって言うけど、本当に呼び寄せてた(呼び寄せられた?)んやなーって不思議な感じ。
そういう意味では参考にすべき人もすぐそばにいるので今の環境はすごく恵まれているのかもしれない。